
寧波慈渓において最も優れた歴史上の人物の一人である呉錦堂氏。その血をひく孫である呉伯瑄氏の経営する呉錦堂有限会社を我々慈渓政府は全面的に協力しバックアップします。この体制は我々役人が入れ替わろうとも存続します。絶大な力を持つ呉錦堂氏の栄誉が現在発展中の慈渓を築いた源だからです。
建中かつて呉錦堂先生が広大な農園の開墾を始め、様々な偉業を成し遂げたことと同様に、現在呉伯瑄氏が新たに杭州湾新区の企業誘致や企業発展に力を注ごうとしている姿勢には頭が下がる思いです。我々はそれに対する協力には当然努力を惜しみません。最高の支援者として呉錦堂有限会社をあらゆる分野でサポートします。
偉大なる一族の血をひく呉伯瑄氏の今後における活躍を期待するとともに呉錦堂有限会社に出来うる限り協力し、応援をします。
“困難ゆえに大成をなす”
呉錦堂氏は、抜群の才知と情勢を判断する目、不撓不屈の意思、寧波人特有の優れた商才を持つ鋭い洞察力、抜群の知友、巧みな資本経営により日本の実業家の仲間入りを果たした。当時の日本経済界で財閥と名付けられた人物はわずか16人、その中の一人でした。生涯、国内の建設に投資し巨額の寄付をし、公共事業に力を注いだ逸材です。海外で活躍した”寧波人グループ“の中でも特に優れた人物です。
“国に忠誠を尽くし、郷里に恵みを、同胞に仁を及ぼした人物”
1885年から日本で中日貿易に従事され、事業は、商業に限らず慈善事業、教育、郷土福祉、革新、外交の面にまで及んでいます。その主な目的は愛国、愛郷、愛民の精神から国を救うことにありました。
呉錦堂の創業過程は、想像を絶する多大な困苦があったと予測されますが、それを乗り越え無一文から事業を起こし成功に至っております。これは臨機応変、機会を逃さないハングリー精神、先賢から告いだ経営理念によるものです。そして寧波の北で生活した祖先から受け継いだ辛抱強く謹んで信用を重んずる人柄。まさに陽明の遺風である。
本校は、2005年に創立され、100年を経過しました。1905年呉錦堂は、墓参りで帰国した折りに、故郷の学校不足を痛感され、錦堂学校の設立に力を注がれました。錦堂学校は100年の中で、万余に及ぶ人材を育成し、慈渓、全省ひいては中国の経済文化発展に大きな貢献をしております。
順不同


全世界の寧波幇(グループ)は、寧波の国の建設に力を注がなければいけない。